カルト宗教脱出レポ

第5章

それから二日間、すべてはスケジュールどおりに進められた。

 

真理研究会県本部から来たという講師・桑野正巳は、俳優の角野卓造に似た風貌の中年男であった。

 

講義の進め方は、あのビデオ講座とまったく同じである。時おり、水差しの水で喉をうるおす以外は、ほとんどぶっ続けで喋りまくり、黒板に書きまくるのだ。その目はもはや常人のものではなかった。妖魔にとり憑かれたように熱っぽい光を放ち、どこか焦点が定まっていないのである。いわゆる目が“飛んでいる”状態とでも言おうか。その偏執狂的な印象も、ビデオ講座の講師にあい通じるものがあった。

 

ただ、ビデオ講座と違うのは、おもしろくないからといって絶対に早送りできないことと、俺たちの背後で藤岡が監視の目を光らせていることである。

 

こんな状況では、居眠りもできやしない。仕方なく俺は、無機的な視線を呆然と桑野に向け、頭の中ではまったく別の思考をもてあそんでいた。

 

たまに横目で浜田の様子をうかがったが、どういうわけか彼は、常に熱のこもった視線を桑野に向けて一心不乱に講義を拝聴しているのだ。理解しようと努めてはいるのだが、やっぱり理解できないらしく、ときどき眉間にしわを寄せては頭を捻っていた。

 

そんなわけで、俺は二日間の講義の内容をほとんど覚えてはいない。ただ一日目が旧約・新約聖書のほとんどこじつけとも言うべき独自の解釈であり、二日目が反共思想の教育だったことを、かろうじて記憶に留めているのみである。

 

このように、頭を使うことはほとんどと言っていいほどなかったのだが、それでもセミナーが終わる頃になると、俺の心身は疲労の極みに達していた。

 

いくら意識がよそを向いていても、桑野の講義は目の前で、しかも真理研究会の宣教師に共通した異様なオーラをともなって行われているのだから、毒気にあてられずにいるのはまず無理というもの。

 

それに、講義中は用足しに行くこともままならないのだ。それどころか姿勢を崩すことも許されず、机上に手を揃えて置き、まっすぐに桑野の顔を見つめていなければならない。何の因果で、半狂(反共?)中年男の顔を何時間も注視し続けなければならんのか。見るに耐えない容貌とまで貶めるつもりはないが、それにしたって限度というものがある。

 

脳細胞が徐々に侵され、肉体的疲労が進行するにつれ、怒りがふつふつと湧き起こってきた。なぜ俺が、こんな無意味で不条理な苦役に服さなければならないのだ。

 

怒りが疲労を助長し、疲労が怒りを煽るという悪循環が幾度となく繰り返され、桑野が講義の終了を告げた二日目の午後五時すぎには、俺の頭と体は綿のようになっていた。疲労の極致に至ったという点では、浜田も俺と同様であろう。ただ、俺にとっての救いは、この時点でも俺はまだ自分自身を見失っていないということだった。

 

「それでは、最後の総まとめとしてビデオを視てもらいます」

 

藤岡は、疲れきった俺たちの様子を眺めて、満足そうな笑みを浮かべながら、ビデオをセットした。

 

あともう少しだ。これを乗り切れば、当面の最大の危機は脱したことになるだろう。絶対に負けるもんか。

 

ビデオが始まった。まず真理研究会がいかにして誕生し、どのような布教活動を行なってきたのかということで、教祖だとかいう頭のはげた韓国人のおっさんが登場し、続いておもに大学における布教活動の様子が紹介された。

 

後半は反共プロパガンダ一色で、共産主義がいかによくない思想であるかを、虚実とり混ぜて解説し、それを打倒するために真理研究会では「国際反共連合」という右翼団体と友好関係を結んで、世界的な反共活動を行なっていること、さらに将来の展望として、真理研究会の統一思想が世界を席捲する日も近い、真理研究会万歳!という、荒唐無稽というか、もはや救いがたい内容である。

 

視ているうちに、だんだん胸のあたりがむかついてきた。

 

断っておくが、俺は決して共産主義を支持しているわけではない。というか、その逆である。共産主義国家なんて、今や崩壊寸前じゃないか。醜い権力闘争、腐った官僚機構、非現実的な計画経済、国民生活を監視・抑圧する強大な軍隊と秘密警察……。

 

そもそも共産主義には「暴力革命」と「プロレタリア独裁」という根本概念がある。すなわち、労働者階級(プロレタリアート)が武力によって権力を奪取し、ブルジョアジーや中産階級に徹底した独裁を敷くことによってのみ、階級や貧富の差のない理想社会を築くことができるというのだ。

 

しかし、これは大きな間違いであって、どこが間違いなのかというと、すべてが間違っているのである。

 

第一に「暴力革命」論。史上最悪の独裁者の一人・毛沢東は「共産主義は銃口によって産まれる」とか言ったそうだが、銃口であがなわれた権力はいずれ銃口の前に倒される。これは歴史の証明するところである。

 

第二に、独裁制はその主体が何であれ、必然的に絶対権力を産み出すことになり、絶対権力は絶対に腐敗するものなのだ。

 

またまた話が脱線してしまったが、このように俺は、共産主義に対してまったくと言っていいほど良いイメージなど持っていないのである。

 

では、なぜ真理研究会の反共思想に不快感を示すのか。共産主義が嫌いなもの同士でつるんでしまえばいいじゃないか。

 

確かに、俺は共産主義は嫌いだ。でも、もっと嫌いなものがある。それは、権威権力の側から特定の主義主張を押しつけられることなのだ。

 

日本のような民主主義国家においては、権力によって特定の思想を押しつけられることは(表向きは)まずあり得ない。それは、民主主義が言論・思想の自由を標榜している以上、たとえ民主主義の思想であってもそれを強制したり、反対思想を弾圧したりすることは、論理矛盾となり自己否定につながるからである。もっともドイツなどに見られるように「戦う民主主義」の例もあるが。

 

逆に言えば、民主主義というものは、その内部に、自らを破壊し覆そうとする敵対思想も包含しなければならない。そこに、この体制の宿命的な脆さがあるのだ。

 

いやまあ、そんな小難しい理屈はさておいて……とにかく俺は子どもの頃から“押しつけ”られるのがイヤだったのだ。些細な話ではあるが、勉強にしろ遊びにしろ、親や教師から強制された瞬間に、自分の中で気持ちが萎えるというか、「言われるとおりにはしないよ」的な反発心が頭をもたげるというか……。

 

また、多数派に盲目的に同調することもイヤで、先生の言うことをよく聞く手のかからない優等生集団を、少し離れたところから斜に構えて見る傾向があった。今にして思えば、確かに子どもらしくないヒネたガキだったので、教師からはよく疎まれ冷遇されたものである。

 

ただの異端児、またはひねくれ者、あるいはへそ曲がりと言ってしまえばそれまでだが、たとえ本音では自分にとって同調できる事柄でさえ、押しつけや強制の匂いを嗅ぎとった途端に、拒絶反応を現してしまう。

 

ましてや、数千人の信者を前に教義を説く韓国人教祖とそれにひれ伏す信者たち、なんていう光景は、俺にとっては何ら感動や感銘を与えるものではなく、単に嫌悪と侮蔑の対象でしかないのだ。

 

そんなことを考えながら、俺はじっとスクリーンを見つめていた。人格改造の総仕上げをするために用いられたビデオが、俺の反強制アレルギーを誘発したとは皮肉である。

 

やがてビデオは終わった。藤岡は満足そうにふっとため息をつき、

 

「それでは最後に、今のビデオの感想文を書いてもらいます」

 

と言って、四百字詰めの原稿用紙を俺たちに手渡した。

 

感想だと? よし書いてやる。

 

『僕は主義主張を強制されるのが大嫌いです』

 

長々くどくどと書き連ねている様子の浜田をしり目に、俺は現在の心境をただ一行で表現して、原稿用紙を裏返し、その上に鉛筆を置いた。

 

「それだけですか?」

 

藤岡が目を丸くした。

 

「ええ。これだけです」

 

俺はうなずいた。

 

ついに俺は、自己の人格を崩壊させることなく、二日間の思想教育を乗り切ったのだ。原稿用紙の一行は、事実上の勝利宣言であった。

 

それから俺たちは、藤岡の運転する車で再び真理研究会のアジトに戻った。

 

アパートでは、おばんや倉が最高級の笑顔で俺たちを迎えてくれた。まるで戦場から凱旋帰国した英雄をもてなすような歓迎ぶりである。どうやら人格改造が成功したものと信じきっているらしい。おめでたい連中だ。

 

おばんと倉は、俺たちを一人ずつ別室に招き、さっそく尋問を始めた。俺を担当したのはおばんである。

 

「セミナーはどうでしたか?」

 

おばんは相変わらず上機嫌である。満面に笑みを浮かべ、弾むような調子で尋ねてきた。

 

「まあ、いろいろと考えさせられましたね。これから自分がどうするべきか」

 

おばんは満足そうにうなずいて

 

「それでさっそくなんですが、今度は『7DAYSセミナー』が再来週の月曜日から実施されるんです。ぜひ参加してほしいんですけどね」

 

「2DAYS」がようやく終わったと思ったら、今度は「7DAYS」だと。バカにするのもいい加減にしろ。誰が参加なんかするもんか。

 

だが、俺は「考えておきます」と答えて、その場をかわした。おばんは少し意外そうに眉をひそめたが、すぐ思い直したように

 

「それでは明日、返事を聞かせてください」

 

と言って引き下がった。

 

参加する気など毛頭ないのに曖昧な返事をして逃げたのは、おばんの圧力に屈したからではない。最終決戦の準備をするために時間がほしかったのだ。万全の態勢を整えておかないと、先日のようにむりやり車に乗せられでもしたら、今度こそおしまいである。二日ぐらいならともかく、七日間もあんなことを続けられた日には、人格改造を通り越して廃人になってしまう。

 

その夜、俺は長い時間をかけて、これまでの真理研究会との関わりを手紙に書き上げた。衝撃的な倉との出会い、ビデオ講座の内容、スキヤキ冒とく事件、そして地獄の2DAYSセミナー等々……。

 

俺はひたすら書き続けた。書かずにはいられなかった。最悪の場合、これは俺の遺書になるかもしれないのだ。そう思うと、ときおりペンを握る手が凍りつき、無念の涙が頬を伝った。

 

執筆作業は午前二時すぎに終わった。便箋二十枚という膨大なものである。それを丁寧に折りたたんで封筒に入れ、糊で厳重に封をした。宛先は「○○県警捜査一課」とした。

 

本当に捜査一課でいいのか、確信はない。ただ、経済事犯の二課や窃盗・空き巣専門の三課や暴力団担当の四課ではない(見方によっては真理研究会は暴力団と言えなくもないが)から、やはり殺人・傷害等の強力犯を扱う一課が妥当であろう。

 

それから俺は床に入った。体は綿のように疲れきっているはずなのに、目は冴える一方であった。仕方ないので、暗い天井を見つめながら、明日の作戦をあれこれ模索した。

 

相手の出方によって、好機と見れば攻め、窮地に追い込まれたらサッと身をかわす、といった具合に、臨機応変のゲリラ戦法をとるか。

 

(いや、そりゃ無理だ)

 

俺はかぶりを振った。言うのは簡単だが、そんな器用な芸当ができるくらいなら、ここまで事態は深刻化していない。実際にこれまでは、相手の出方をうかがっているうちに、いつの間に敵のペースに巻き込まれ、あれよあれよという間に追いつめられて、最後は白旗、というパターンで何度も手痛い敗北を喫しているではないか。

 

貝になるしかない、と俺は考えた。脱会するという意志を告げる以外は、どんな甘言を弄されようと、どんなにひどい言葉で罵倒されようと、貝のように口を閉ざしてひと言も応答せず、敵が攻撃に疲れて諦めるのをひたすらじっと待つのだ。今までに試みたことのない戦法である。相当な忍耐力を要求されるだろうが、もはやこれしかない。

 

そんなことを考えているうち、いつの間にか俺は、深い眠りの中に引きずり込まれていった。

 

《→ 第6章 に続く》





 
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