カルト宗教脱出レポ

第4章

翌金曜日は雨だった。午後六時頃、俺はアパートに着き、玄関で傘をたたんでいた。

 

すると、おばんや倉やその他数人の上級会員が、待ってましたとばかりに猛烈な勢いで奥から飛び出してきたのである。

 

何かいつもと様子が違う。迫り来る奴ら一人ひとりの全身から、得体のしれない危険なオーラが放たれているのだ。

 

俺はギョッとして、その場に立ちすくんだ。連中はすばやく俺を取り囲み、相撲のがぶり寄りのような要領で、俺を玄関から押し出した。

 

「ちょっと待った! いったい何なんですかっ」

 

わめきながら振り返ると、いつの間に現れたのか、一台の乗用車が後部ドアを開けたまま停まっている。一瞬、開かれたドアが魔界への入口のように見えた。

 

「何すんですか! ちょっと止めてください!」

 

俺が抗議の声をあげると、連中は口々に

 

「研修所に行ってもらうんですよ」
「さあ、早く早く」
「2DAYSセミナー、がんばってください」
「きっと役に立ちますよ」

 

などとわめきながら、降りしきる雨の中、俺を車に押し込めようとする。

 

俺は必死に抵抗したが、なにしろ多勢に無勢、とうとうむりやり車に乗せられてしまった。倉が急いでドアを閉める。それを待ち構えていたかのように、車はタイヤをきしませて発進した。

 

振り返ると、おばんや倉は玄関前に一列に並んで見送っていた。獲物を捕えた満足感を微笑みにたたえて……。俺は精一杯の憤りをこめて奴らをにらみ返し、絶望で曇る視線を前方に向けた。

 

車を運転しているのは、倉と同年輩に見える男子学生である。だが、ルームミラーに映る風貌は倉よりも数段上だ。中井貴一に似たなかなかの好男子である。いや、そんなことはどうでもいい。

 

俺は、ともすれば崩れそうになる体をぐったりとシートに預け、しばし茫然としていた。絶望と脱力感と激しい後悔の念がこみ上げてきた。

 

もうおしまいである。研修所、いや強制収容所に放り込まれ、ありとあらゆる思想教育や人格改造を施されるのだ。収容所を後にする頃には、おそらく俺は俺でなくなっていることだろう。真理研究会に従順な反共の犬になり下がり、青いバインダーを小脇にかかえて新入生に声をかけている自分の姿が脳裏に浮かんだ。

 

なぜ、もっと早く、この腐れ縁を断ち切っておかなかったのか。「ビデオ講座を終えてけじめをつけるまで」とか「泣くようにして頼む奴らの顔を立ててやった」とかいう、自己満足的なきれいごとが、自分自身を絶体絶命の窮地に追い込んでしまったのだ。

 

過ぎたことを今さら悔やんでもどうしようもない。どうしようもないが、今の俺には悔やむこと以外、できることはなかった。あまりの無力さに、俺の絶望感はいよいよ深くなった。

 

「今回のセミナーは……」

 

突然、運転席の中井貴一がハンドルの握ったまま口を開いた。

 

「あなたを含めて二人の受講者で行われます」

 

ああ、そうですか。もう好きにしてください。俺は返事をする気にもなれず、無気力な視線を車窓の外に向けた。

 

すでに夕闇があたりを包み込み、街の灯りや対向車のヘッドライトが雨の中に霞んでいる。注意して街の様子を眺めたが、どうも見覚えのない景色である。

 

俺はほぞを噛んだ。外の景色に注意していれば、研修所の場所について手がかりぐらいつかむことができたかもしれないのに。もっとも、場所がすぐにわかるようなルートを中井貴一が運転するかどうかは保証の限りではないが。

 

次第に灯りがまばらになってきた。ひたすら郊外に向かって走っているらしい。道もメインの国道を外れて、田舎の県道とか脇道といった風情である。ガードレールの向こうに田んぼが広がっているのが、薄暗がりの中に確認できた。

 

中井貴一はあれきり口をつぐんでしまった。俺も何も言わないし、言う気にもなれない。聞こえるのは車のエンジン音と、フロントガラスを打つ雨音だけであった。

 

やがて車は一軒の家の前で停まった。二階建て和洋折衷のありふれた造りだが、周囲を鬱蒼とした林に囲まれており、“悪魔の棲む家”とでも称すべき陰気さである。

 

中井貴一が門を開けて中に入った。仕方なく俺もあとに続く。雨は小降りになっていたので、傘はささない。

 

傍らの茂みで何かがうごめく気配がした。葉ずれの音の間に、低いうなり声のようなものが聞こえる。番犬を放し飼いにしているらしい。

 

(これじゃ、迂闊に脱走はできんな)

 

この様子だと、庭のあちこちに罠や落とし穴ぐらい仕掛けられているかもしれない。事態はいよいよ絶望的である。

 

玄関前のポーチには外灯が灯っていた。扉を開けると、薄暗がりに照らされて奥に向かってまっすぐに伸びる広い廊下があった。どんよりと澱んだ空気の中に、微かにカビ臭さが漂っている。どうやらこの建物、あまり頻繁には使われていないらしい。

 

何が研修所だ。まるでホラー映画の世界じゃないか。暗がりにゾンビでも潜んでいるんじゃなかろうか。

 

突然、左手のドアがギギーッと音をたてて開いた。

 

一瞬、俺の心臓は凍りついた。だが、顔をのぞかせたのはゾンビではなかった。二十歳前後と見える、ごく普通の男である。風貌から察するに新入生のようだ。もしかすると、一緒にセミナーを受けるというのが彼なのか。

 

案の定、中井貴一が「彼が一緒にセミナーを受ける浜田君です。それからこちらが…」と、俺たちを互いに紹介した。向こうがペコリと頭を下げた。俺も軽く会釈を返しながら、相手を観察した。

 

縮れ毛と柔和なまなざしが印象的な男である。力強さや鋭さはあまり感じられないが、人の良さそうな青年だ。

 

(彼にはあまり気を遣わなくて済みそうだな)

 

そこで俺は、あることに気づいてハッとなった。

 

このセミナーを受講させられるようになったということは、彼もまた、俺と同じような立場にあるとは考えられないか。何かよくわからないまま会に引きずり込まれ、半強制的に受けさせられたビデオ教育の効果があまり上がっておらず、洗脳の進み具合が遅れているということである。

 

こんなことをいつまでも続けるつもりはなく、彼もひそかに脱出の機会をうかがっているのではないだろうか。会にとっては危険分子だが、もしかすると俺にとっては貴重な“同志”かもしれない。俺は、暗黒の中に一条の光を見出したような気がした。

 

顔合わせが終わると、中井貴一は俺たち二人を二階へ案内した。階段をあがる途中で、廊下の突き当たりのドアが半開きになっているのが目にとまった。室内に脚の長いテーブルや冷蔵庫が見える。ダイニングルームになっているらしい。

 

その時、一個の人影がフッと視野を横切った。一瞬の印象だったが、髪が長く姿の良い女性である。食器の触れ合う音がかすかに聞こえた。食事の支度でもしているのだろうか。

 

二階の一室に入った俺たちの前で、中井貴一は自己紹介をした。

 

「私は藤岡といいます。今回のセミナーの責任者になっていますので、わからないことや困ったことがあれば気軽に相談してください」

 

今わからないのは、この研修所からの脱出方法であり、それがわからなくて困っているのだが、そんなことを相談したら生きてここを出られるか、それこそわからない。

 

続いて藤岡は、二日間のカリキュラムについて説明を始めた。それによると、朝は六時起床、朝飯を食って正午までが午前中の講義、昼飯を食って六時までが午後の講義、晩飯を食ったあと教育用ビデオを視て、一日の感想文を書き、十時消灯というものである。

 

「講師は真理研究会の県本部から来られる『桑野正巳』という方です」

 

どういうわけか、藤岡は得意そうに胸を反らした。わざわざ県本部から来て講義をしてくれるのだから、しっかり勉強しろ、という無言の意志表示なのか。

 

いくらなんでも、覚醒剤やロボトミー手術は考え過ぎだったようだ。だが、講師が来て講義をするとなると、ビデオ講座の時のような大胆なサボタージュはできない。しかも、講義攻めは一日十時間以上も組まれているのだ。

 

「それでは、そろそろ食事の用意もできたでしょうから、下へ降りましょうか」

 

藤岡について一階のダイニングルームに入ると、テーブルの上に三人分の食事が用意されてあった。先ほど見かけた女性が支度をしてくれたのだろう。だが、人の姿はない。

 

食事をとりながら、藤岡はいろいろな話をした。兵庫県加古川市の出身であること、この大学に進学した理由や真理研究会に入ることになったいきさつ等々……。倉と比べてざっくばらんな口調に、俺の緊張はやや緩んだ。

 

食事のあと、アメリカの有名カントリー歌手であるジョン・デンバーが主演する「OH! GOD」とかいう、神が実在するのか否かをテーマにした映画を視て、その日は消灯になった。

 

俺たちには一階の一室があてがわれた。藤岡は二階で寝るらしい。

 

ようやく“同志”と話し合う機会が訪れた。せんべい布団を敷きながら、俺は、どう話を切り出したものか、あれこれ思案していた。

 

部屋の中を見回してみたが、赤外線カメラのようなものは見当たらない。問題は盗聴器だが、これはカメラと違って見つけるのは非常に困難である。まあ、盗聴器を仕掛けるとすれば、壁際やタンスの陰などの死角であろうから、部屋の中央で布団でもかぶって話をすれば大丈夫だろう。

 

二人分の床をとり、「おやすみなさい」を言って灯りを消してすぐ、俺は「ちょっと、いいですか?」と彼を呼んで耳打ちをした。

 

「話があるんですけど、盗聴器が仕掛けられているかもしれないから、布団かぶって話しましょう」

 

「と、盗聴器?」

 

浜田の声に、まったくの予想外といった驚きが感じられる。でも、そんなに意外なことでもあるまい。これまでの会のやり方から考えて、盗聴器の存在を警戒することぐらいは当然だと思うのだが。

 

俺たちは腹這いになって、布団の下の空間で顔を向かい合わせた。密閉してしまっては息苦しいので、安全と思われる一方向にだけ布団を手で持ち上げて隙間を作った。かなり珍妙な光景だろうが、俺にすれば真剣だったのだ。

 

「話というのはですね、明日あさってを含めた今後のことなんですけど……」と、俺は話を切り出した。

 

「あなたがどういういきさつで真理研究会に入って、今ここにいるのかは知りませんけど、このまま会に在籍して活動を続けていくつもりなんですか?」

 

俺は単刀直入に尋ねた。本来なら、少しずつ探りを入れながら相手の出方を確かめていくべきなのだろうが、この際、そんなまわりくどい腹芸は抜きだ。

 

俺の問いに対して、浜田はただひと言、

 

「はあ」

 

と答えた。暗いので表情はよくわからないが、声の調子に当惑が感じられる。

 

「いや『はあ』じゃなくって、これからどうするつもりなのか、あなたの考えを聞いているんですけど」

 

煮え切らない様子の浜田に、俺は苛立ちを抑えて突っ込んだ。

 

「え、まあ、僕も続けていく気はあまりないんですけど……。かと言って、なかなかやめさせてもらえそうにないし……。それにやめたいとか言ったら、どういうことになるか。いや、僕はそれが怖くて言い出せなくて、なんとかコトを荒立てずにやめる方法を考えているんですけど、いい知恵も浮かばないし……」

 

「でも、ここまで来たら、コトを荒立てずにって無理じゃないですか? ケンカするぐらいのつもりで勝負に出ないと」

 

「ケ、ケンカ! それはちょっと……。まあ、ビデオの中身については問題がありそうですけど、会の皆さんいい人みたいだし、いろいろお世話になっているわけだし……」

 

何を言っとるんだ、この男は。お世話って……別に世話してくれって頼んだわけじゃあるまい。自分に隙があったことは否定できないが、それにつけ入って強引に会に引きずり込み、夜中に下宿にまで押しかけ、あげくの果てにこんな研修所に強制連行する連中が“いい人”って、あんたね……。

 

浜田君、おそらくあんたこそが本当に“いい人”なんだ。類まれな善人か、底抜けのお人好しか。でも、これじゃ残念ながら「同志」にも「一筋の光明」にもなりえませんね。何の根拠もないのに、勝手に頼りにした俺が愚かでした。

 

落胆した俺は、気まずい沈黙がおりた密閉空間から這い出し、早々に眠ろうとせんべい布団に寝転がった。すると、浜田がおずおずと問い返してきた。

 

「……それで、あなたはどうするんですか?」

 

そんなこと、さっきの会話の流れからわかりきっているじゃないか。無類のお人好しというだけでなく、どうも頭の回転が鈍いというか、洞察力に難があるようだ。

 

いずれにせよ、浜田はまったくあてにならないことがわかった。この窮地から脱出するには、やはり自分自身の力をもってするしかないのだ。

 

「僕は続ける気はありませんよ。とにかく明日明後日をしのぎ切って、早々に脱出してやります」

 

俺はそう答えて眼を閉じた。それは浜田への当てこすりであると同時に、真理研究会への宣戦布告であった。

 

《→ 第5章 に続く》





 
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