カルト宗教脱出レポ

第2章

ビデオ講座もあと二回を残すのみとなった、ある夜のことである。

 

その日、午前中だけ講義に出席した俺は、午後から友人の島原と一緒にアルバイトの口を探して市内を駆け回った。だが、結局それは徒労に終わり、疲労困憊していたのである。

 

地元の町だと時給六百円から七百円の口はざらにあるというのに、ここではなんと五百円が主流を占めているのだ。

 

まあ、田舎だということで、家賃その他、生活費の面ではかなりの恩恵を受けているのだから、仕方のないことなのかもしれない。最終的には、時給五百円か、よくても五百五十円程度で我慢しなくてはならないのだろう。

 

そんなわけで、心身ともに疲れ果ててはいたが、明日のことを考えると心が弾んだ。三日ぶりのビデオ講座で「タワーリング・インフェルノ」の続きが視られるのだ。

 

この映画はパニック物の傑作として有名だが、何と言っても特筆すべきは、そのキャスティングである。スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン、フェイ・ダナウェイほか、当代の一流スターがずらりと顔を揃えているのだ。

 

前回は、救助隊のヘリがビルの屋上に激突して粉々になり、燃えさかる炎によって百三十八階のプロムナード・ルームに閉じ込められた人々の恐怖が一層深刻になる、という場面で終わった。

 

彼らに明日はあるのか。ビルの設計士・ダグやダンカン社長の運命は? オハラハン消防隊長はいかにして彼らを救出するのだろうか。

 

考えただけで胸がワクワクしてくる。明日は大学の講義が終わったら、一目散にアパートに直行しよう。

 

その時、部屋のドアが軽くノックされた。

 

(こんな時間に誰だろ?)

 

数名の友人の顔を思い浮かべながらドアを開けて、俺は危うく卒倒するところだった。

 

なんと、倉が外灯の薄明かりの下で、例の薄笑いを浮かべて忽然と立っているではないか。アパートの連中には俺の住所は教えていないはずなのに、どうしてここがわかったのか。

 

俺の疑問を見透かしたように、倉が口を開いた。

 

「大学の学生名簿で住所を調べたんですよ」

 

嘘だ、と俺は直感した。大学側が、正当な理由もなく倉のような一学生に学生名簿の閲覧を許可するはずがない。とすると、考えられるのはただ一つ、アパートの誰かが俺を尾行していたのではないだろうか。

 

しかし、この際そんなことをあれこれ詮索しても仕方がない。

 

「まあ、どうぞ」

 

と、俺は倉を部屋に招き入れた。

 

倉はぐるりと部屋を見回し、やがて一隅に置かれたステレオミニコンポに目をとめた。

 

「いいコンポを持っていますね。どんな音楽を聞くんですか?」

 

「洋楽が多いですね。TOTOとかCHICAGOとかASIAとか…」

 

俺は正直に答えたが、倉は今ひとつピンと来ない表情で、曖昧な微笑を浮かべていた。

 

それからひとしきり、音楽談義に花が咲いた。と言っても、俺が一方的にしゃべるばかりだったのだが。

 

倉がまったく話題についてこられないのである。こればかりは個人の趣味だから、どうしようもない。

 

俺に洋楽を語らせたら、それだけで一冊の本ができあがるだろう。七十年代後半から八十年代にかけて、おもに英米のミュージック・シーンを賑わせたアーティストや曲に関しては、そこらへんの連中じゃ足元にも寄れないほど精通しているという自負がある。もちろん、最新のヒットチャートにも敏感である。洋楽について俺と議論を戦わせることができるのは、前述の島原ともう一人の友人・梶本ぐらいのものだろう。

 

邦楽しか聴かない連中の中には、俺たちのことを欧米かぶれだと評する者もいるが、アメリカだろうがイギリスだろうが、いいものはいいのである。

 

俺たちが国内アーティストのことを知らないなどと口にすると、邦楽派の連中は決まってこう言う。

 

「そんなことも知らんのか」「テレビ視ないのか」

 

放っといてくれ。個人の勝手じゃないか。聴きたければ聴けばいいし、聴きたくなければ聴かなきゃいい。俺が邦楽を知らないように、あんたらは洋楽を知らん。逆にあんたらが邦楽に入れ込んでいるように、いやそれ以上に、俺は洋楽に熱中しているんだ。とやかく言われる筋合いはない。

 

話が脇道にそれてしまって、すみません。さて、俺の音楽論が一段落したところで、それまであくびをかみ殺しながら、露骨に興味なさそうな素振りを見せていた倉が、そろりと膝を乗り出してきた。

 

「ところで、ビデオ講座の方はどうですか? だいぶ全体のつながりが見えてくるようになったでしょう」

 

全体のつながりもへったくれもない。部分部分の意味さえ、俺にはよくわからないのだ。ましてや、第三回以降ほとんどビデオなど視てはいない。そんな俺に全体のつながりなどわかるはずがないではないか。

 

なおも倉は、まるでテストでもするような口調でいくつかの質問をぶつけてきたが、俺に答えられるはずもなく、笑ってごまかすしかなかった。

 

すると倉は表情を引き締め、

 

「あまりよく理解できていないみたいですね」

 

と低くつぶやいて居住まいを正し、坊さんの説教のような調子で滔々と語り始めた。内容はビデオ講座の二番煎じである。思わずため息が出た。

 

こんなことなら、島原か梶本の下宿にでも避難しておくんだった。昼間のバイト探しで疲れていたから、島原と一緒にバイパス沿いの定食屋で晩飯を食ったあと、そのまま下宿に帰ってきたのである。心地良い音楽でも聴いて、ゆっくり疲れを癒そうと思っていたのに…。俺は目の前の倉よりも、自分自身の運の悪さに腹が立った。

 

話は延々と続いた。倉は半分目を閉じ、自分で自分の弁舌に酔いしれている様子である。今度は俺があくびを我慢しながら聞き流す番であったが、そのうち話の内容が徐々に変質しているのに気づいた。宗教に名を借りた戯言が、次第に政治的色彩を帯びてきたのである。

 

「あと数年のうちに、北方から『赤い侵略者』が攻めて来ます。彼らは、世界中を自分たちの思想で塗りつぶそうとしているんです。私たちは、その時に備えて救世主の再臨を祈らなければなりません。救世主とともに闘うことで『赤い侵略者』をこの世から滅亡させることができ、真の平和と協調が訪れるんですよ」

 

はぁ、そりゃ大変ですねぇ…なんて茶化してやりたくもなったが、倉は大まじめである。俺は少し注意を払って話に耳を傾けていたが、そのうち「マルクス」「レーニン」「プロレタリア独裁」などという単語が飛び出してきた。こうなると『赤い侵略者』というのが何者なのかは明白である。

 

(反共産主義かよ)

 

俺は内心、舌打ちをした。“赤”は共産主義の象徴である。

 

正体不明の不可解な宗教にイデオロギーまで絡んで、事態はますます複雑になってきた。まあ、誰がどんな思想や主義・主張を持とうが、それは当人の勝手だし、宣伝・布教するのも自由である。

 

だが俺自身は、共産主義にも帝国主義にも原理主義にもかぶれるつもりはない。不毛なイデオロギー論争に巻き込まれるのは、真っ平ごめんである。

 

そんな俺の心中も知らずに、倉は一時間以上もしゃべり続け、

 

「それじゃ、明日。待ってますよ」

 

と言い残して、軽やかな足取りで去って行った。言いたいことを洗いざらいぶちまけたので、すっきりしたのだろう。

 

対照的に、残された俺は一人、夜の静寂の中で自責の念にかられていた。

 

ビデオ講座にかこつけて無料で映画を視ることができるというので、ついいい気になってアパートに入り浸ってしまったが、やはりあそこはまともな人間の出入りする場所ではない。もっともらしい笑顔の下に隠された邪悪な企みを直視しようとしなかったのは迂闊だった。

 

あの笑顔で油断させ、隙のできた頭をビデオ講座で地ならしし、その土台の上に反共思想を植えつけていくつもりなのだろう。映画ばかり視ていたおかげで洗脳程度の低いことが、今となっては救いである。

 

ひょっとすると……奴らは、俺の洗脳の進捗が芳しくないことに疑問を抱き、いったい俺がどこまで彼らの思想に染まっているのかを把握するため、今夜、倉を送り込んできたのではあるまいか。

 

いったんそう思うと、どうもそのような気がしてきた。いや、きっとそうに違いない。

 

そこで、俺はある恐ろしい考えに思い至って、ぞくりと身を震わせた。

 

今夜の倉のテストによって、俺の洗脳は遅れているということが、はっきりと確認されたわけである。とすると、奴らはこの遅れを挽回するため、近いうちに何らかの“非常手段”に訴えるのではないか。それはいつ……どんな方法で……?

 

こうなったら、もはや映画どころではない。絶縁あるのみだ。幸い、ビデオ講座も残すところ、あと二回。明日と明後日でさっさと済ませて、おばんと倉に絶縁状を叩きつけよう。

 

本当は明日にでも縁を切ってしまいたいのだが、やはりひとつの区切りはつけたほうがいいだろう。中途半端な状態では話も切り出しにくい。ビデオ講座の終了を以って、俺は世迷言の世界から抜け出すのだ。

 

後になって、俺はこの決断を痛切に悔やむことになる。たとえ修羅場をくぐることになろうとも、一刻も早く絶縁すべきであった。おばんや倉との対決を先伸ばしにしたために、かつて経験したことのない窮地に陥ることになろうとは、心の片隅で潜在的に予期していたのかもしれないが、意識の表面では思ってもいなかったのである。

 

《→ 第3章 に続く》





 
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